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ハトノユメ

自作小説ブログ

冬にねむる (1)

しんと冷えわたる空気。

ラスファイドは長い冬の只中にある。

雪はそれほど降らないが、天をも貫くと称される国境沿いの山々から吹き降ろす風は厳しい。


今年はいつにも増して厳しくかんじられる冬となった。

帝国軍の脅威が迫っている。

どうやら春を待たずに決着をつけるつもりらしい帝国軍は、幾度となく攻撃を仕掛けてきていた。

ラスファイドを攻略するにあたり長年苦慮してきた山越えに関して、帝国軍は新たな攻略法を開発したらしい。ラスファイド軍が想定していたよりもずっと早い速度で大軍が山に押し寄せてくる。


これまで何とか食い止められたのは、長年山での戦闘を想定した訓練を続けてきた山中軍と呼ばれる師団の働きと、突如現れた秘術を操る戦士の存在……レイナの功績が大きいだろう。


レイナは、森で秘術を授かったあの日から、幾度となくラスファイド軍を救ってきた。

腕に刻まれた紋様の力によって、ごく限られてはいるが未来を予測したり、帝国軍を混乱させる幻術を使ったりすることができた。

今やレイナはラスファイド軍には欠かせない人物となっていた。

所属を情報局から前線部隊へと移していたレイナは、日々、迫り来る帝国軍との戦いに明け暮れていた。

(つづきへ→)

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秋にめざめる (10)

レイナは老女に誘われ、ほのかに香の漂う小部屋に入った。

そこは、窓のない一室で、床や壁、天井などに複雑に入り組んだ紋様がびっしりと描かれている。

いかにも何か儀式的なことを行うための部屋。


老女はいくつかの蝋燭に火を灯すと、レイナに部屋の中央に立つようにと言った。

レイナは目を閉じた。

老女はレイナの知らない言語を口にする。それは呪文なのだろうか。

徐々に意識が遠のいてくる。

部屋を満たす香が強くなったように思えた。

しばらく意識が浮遊したような状態が続いた後、ふいにレイナの思考のなかに、すさまじい光が押し寄せてきた。

それは打ち寄せる波のようにレイナの思考に膨大な情報と今までにない力をもたらす。


波はすぐにぴたとおさまった。

レイナはゆっくりと目を開けた。

自分の中に、今までにない力が備わったのがわかった。

レイナの両腕には、この部屋を満たしているのと良く似た紋様が刻まれている。

レイナは老女のほうを見た。

「儀式は終わりだ。その力をどう使うかはお前さん次第だ。が、くれぐれも乱用は慎むことだよ」

「……はい」

「お前さんにも、この国にも、良い方向へ向かうことを切に祈っているよ。武運を、運命の子」

「ありがとうございます」

レイナは老女に深々と礼をして、部屋を出た。

扉の外で待っていたユウリと目が合う。

「レイナさま、大丈夫ですか?お加減は」

ユウリが心配そうに訊ねてくる。

「別になんともないよ。変かい、私」

「いえ、そんなことはありませんけれど」

「変わったことといえば、腕に模様を描かれたことくらいだ。別にどうってことはないよ」

レイナは袖をたくし上げてユウリに紋様を見せた。

「どうやらこの模様が秘術を行う者の証らしい」

レイナは笑ってみせた。

「行こう」

ユウリを促して建物の外へ出た。

「こっちだ」

レイナは迷いなく歩を進める。

その後をユウリが追う。

------

少し進んだところで、ユウリは後ろをふり返った。

「あ」

小さな驚きの声をあげる。

先程まで滞在していたはずの建物が見えない。まだそれほど離れていないはずなのに、忽然と姿を消してしまった。

「そうか、やっぱり」

レイナが呟いた。

「おそらくあの建物、もう二度と辿りつけないな」

「それは一体……」

「本来誰にも辿りつけない、そのように呪術で守られている。それだけでなく、この森全体をおおう不思議な力も、あの館の主によるものかもしれないね。私たちはあの人に誘われたんだ。偶然見つけたわけではなく、あちらが私たちの気配を察して道を開いてくれたのだろう」

「レイナさまに会うために?」

「ラスファイドを救うためにだろう。あの人は、この国が好きみたいだ」


ほどなく、レイナとユウリはあっさりと森を抜けた。

「レイナさまには、抜け道がわかったのですか」

「うん、何となく。これもこの模様の力かな」

レイナは自分の腕を見た。

「すごい力をもらったみたいだ。大切に使わないとね」

「ええ」

ユウリは少し心配そうな面持ちでレイナを見ていた。

「大丈夫、乱用はしないよ。さあ、早く戻って帰還を報告しないと」

「そうですね」

「ああ、隊長にお小言を言われそうだな」

二人の周りを、秋の風が吹きすぎていった。


(第四章にすすむ→)

(もくじにもどる)

秋にめざめる (9)

老女は静かに語りはじめた。

「わたしは古くからこの森に住まう占い師の末裔でね。外部とほとんど関わることもなくひっそりと暮らしている。が、そんなわたしの処に、ごくたまに来訪者が来ることがある。そしてそれは決まってこの国に異変があるときさ」

「今回の私達も、その来訪者ということになるのですか」

「もちろん、そうさ」

「では、ラスファイドに異変があると」

「もうすでにあるだろう?」

「……帝国との戦争?」

「うむ」

老女は卓の上で指をすべらせる。何かの図形を描いているように見える。

「この国の、ラスファイドの未来が見える」

「あなたは、先見の術を会得しているのですか」

「完全ではないが、大きな異変はわかるよ」

「今回の争いに関しては?」

「もちろん見える。ラスファイドはアルカダイアと一線交えようとしているが……あまり芳しくないね」

老女は図形を描き続ける。

それにより何かの情報を得ているようだ。

「帝国の力は強大だよ。今まで凌いでこられたからといって、今回もうまくいくとは限らない。帝国は、どうやら新しい策を弄してくるようだ。このままではこの国は危ういかも知れん。帝国との力の差ははっきりしている」

老女は静かに、だが明確に言い切った。

「では、我々はどうすれば」

レオナの問いに老女は口元をゆがめた。

横目でレイナを見据える。

「ラスファイドに古くから伝わる秘術を教えよう。それが、ここでお前さんと会うことになった私の役目だろうからね。うまく使えば帝国と渡りあえるかもしれない。お前さんの星回りはこの秘術を継ぐのに最適だよ、運命の子。ただし」

「……ただし?」

「乱用すれば命に関わる。それを承知の上でならの話だ」

傍らのユウリが息をのんだのがわかった。

視線を向けると、ユウリが青ざめた顔でレイナを見つめていた。

「おやめください、そんな危険なことは」

「ユウリ、でも」

ユウリはレイナの言葉がまだ終わらないうちに、老女に視線を移した。

「代わりにぼくではだめでしょうか。この方を危険な目にはあわせられない」

老女はユウリの顔を見た。

その双眸を丹念に観察して、口元を歪める。

「ほほお、お前さんは、非常に面白い。相当に珍しい星回りを持って生まれておる。それは大事にすべきだが、残念ながら、お前さんには無理だ」

老女の言葉にユウリはうつむいた。眉間に少しばかりしわを寄せている。


しばしの沈黙ののち、レイナは、

「私に教えてください、その秘術」

と、しっかりとした口調で言った。

ユウリがはっとした様子で顔をあげる。

「レイナさま。いけません」

レイナは老女を見つめていた。

「本当にいいのかい」

老女の問にレイナの答えははっきりしていた。

「ええ。どうしても守りたいのです。この国を、故郷を」

ユウリと暮らした、この思い出の場所を。

「おやめください、危険すぎます」

「……ユウリ、ありがとう、いつも気遣ってくれて。感謝してるよ。でも、今回ばかりは」

「レイナさま」

「ここで帝国に負ければ未来はない。それならば、少しでも可能性があるものにかけてみたい」

レイナは穏やかに笑ってみせた。


ユウリはもはやとめる言葉を持たないようだった。

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秋にめざめる (8)

内部は、驚くほど清涼な空気で満たされていた。

窓を定期的に開け放って換気しているのだろう。掃除が行き届き、ほこりのあとも見られない。

やはり、だれかが住んでいるらしい。


建物の中心をしばらくまっすぐの廊下が続いている。

廊下の両側にはいくつかの扉。その扉のむこうには何の気配もない。

もっと奥。廊下を突き当たったところから気配をかんじる。

突き当りにはひときわ大きな扉がある。


レイナは扉をひとしきりながめると、静かにノックした。

しばしの静寂ののち。

「どうぞ、お入り」

と、扉の奥から返事があった。

女の声。

レイナとユウリは顔を見合わせる。

レイナが頷くと、ユウリはわかりましたという仕草をしてみせる。

レイナは、

「失礼します」

と声をかけ、ゆっくりと扉を開けた。


不思議な装飾品が部屋を満たしている。

ほの明るい照明器具がいくつか設置され、その淡い光に照らされた室内は、妙に幻想的な印象をかもし出している。


部屋の奥に、小さな人影。

近づくと、卓の向こう側に、椅子に腰掛けた女性がひとり。

年のころは、老齢といってよい頃合だろう。

頭から薄布のベールを纏っているため顔はよく見えないが、卓の上に置かれている両の手には、幾筋かの皺が刻まれている。

爪を美しく彩色し、不思議な文様を描いてある。


「こんなところまでよく来たね。待っていたよ、運命の子」

老女はゆっくりと、静かな声で言った。

ベールからのぞく口元がかすかに微笑んでいる。

「私たちが来るのを待っていたのですか」

レイナがたずねる。

「お前さんが来るのを待っていたんだよ。気配をかんじたからね。そろそろだろうと思っていた」

レイナは目を丸くする。

「……私?」

「そうさ、運命の子。そら、そこの椅子にかけたらいいよ。立ち話ってのもどうかと思うからね。お連れの子もいっしょにかけなさい」

老女は傍らに置いてある二人掛けの布張り椅子を指して勧める。

レイナは「はい」と言って素直に腰掛けた。ユウリは動かない。

レイナが見ると、ユウリは「このままで」と言った。従者であるから座ることはできないと言いたいのだろう。だがレイナはそんなユウリの腕をつかみ強引に隣に座らせた。

「せっかく勧めてくださっているんだから、素直にかけなよ」

その様子を見ていた老女の口元は、さらに笑みを増したようだった。


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秋にめざめる (7)

古い建物を見つけたのは、レイナが指し示した方角にしばらく進んだときだった。

それは森の中に忽然と佇んでいる。

決して小さくはないのに、この森の中にそんな建物があるという話を今まで全く聞いたことがない。

通行路から外れた忘れられたものかと思ったが、そこからはかすかに人の気配がする。

だれかが住んでいるのだ。


こんな森の中に?


レイナは奇妙には思ったが、不思議と恐ろしくはなかった。

だれかが住んでいるのなら、その人物はこの森をぬける方法を知っているかもしれない。

そういう期待を持った。


傍らのユウリはやや不審げな面持ちで目の前の建物を見上げている。

瞳が、青い。

アニミノードを使って内部の気配を窺おうというのだろう。

ほどなくしてユウリは地面のほうへ視線を落とした。

「どう、何かわかったかい?」

「いえ。やはりこの森ではアニミノードは拒まれているようです」

それを聞いてレイナはもう一度建物を見た。

自分には、強く何かの気配がかんじられる。

なぜだろう?

アニミノード能力は微々たるものでしかないレイナは、こんなに離れたところから何かの気配を強くかんじることはほとんどない。

剣の間合いの範囲ならともかくとして、自分からの距離が遠のけば遠のくほど、当然ながら気配はかんじにくくなるはずなのに。

こちらの方角が気になっていたのはこのせいか?

この気配に引き寄せられたのか?


「ユウリ、私にはなぜだかあの建物の中から人の気配がかんじられるんだ。それも、かなり強い気配」

「本当ですか?ぼくにはさっぱり……」

困惑するユウリの瞳は漆黒に戻っている。

「ねえ、入ってみない?もし人が住んでいるのなら、この森を抜ける方法を知っているかもしれない」

「しかし、何か凶悪なものが棲みついている可能性もありますよ」

「それは、ないと思う。中からは攻撃的な気配はかんじないよ。存在感は強くかんじるけど、決して威圧的なものではないから」


レイナはユウリを諭すと、先に立って歩き始めた。

つる草に覆われた扉をノックする。

幾度か繰り返すが、返事はない。

思い切って扉の取っ手を引くと、ぎいと音を立ててゆっくりと開いた。

レイナはユウリをふり返った。

口元で少し笑う。

「無作法だが、非常事態だ。お邪魔させてもらおう」

そう言って、そっと建物の中に足を踏み入れた。


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秋にめざめる (6)

二人は小さなくぼ地へと移動すると、背負っていた荷をおろし、食事をとることにした。

パンに保存食の干し肉、乾燥トマト。任務中に携帯しておくごく一般的な食料。

ユウリは簡易コンロで湯を沸かし、粉末状の茶を溶かした。

器に注いでレイナにふるまってくれる。

冷えた体に、暖かい飲み物はありがたい。


「ねえ、ユウリ。前から気になってたんだけど、きみはどこで茶の知識を仕入れたんだい。何だか妙にくわしいよね」

「別にくわしくはありませんよ」

自分の分の飲み物を器に注いでいたユウリはレイナのほうを見ずにそう答えた。

「そうかな。前に紅茶を淹れてもらったとき、すごくおいしいと思ったんだ。他の人が淹れてくれたのよりもずっとおいしかった」

ユウリは静かに茶を飲みながらレイナの話を聞いている。

「きみの淹れてくれた紅茶には、金の輪が浮いていたんだ」

「金の輪?」

「そう。光の加減で表面に綺麗な金の輪が見えるんだ」

ユウリは何かを考え込んでいるような表情をした。

器に残っていた茶を一気に飲み干す。

「ぼくも金の輪をみたことがあります」

「へえ、どこで?」

「ぼくの母がぼくに淹れてくれた紅茶に、金の輪が浮かんでいました」

「お母さん」

「はい。ぼくは母から茶の淹れ方を教わりました。ごく基本的なことだけですけれど。そのとき、母が繰り返し言っていたことがあります」

「何?」

「おいしい茶を淹れるには、それを飲んでくれる大切な人を思って淹れればよいのだと。そうすればおいしくなると言うんです」

「へえ」

「そしてそうやって淹れた茶には、黄金の輪ができると」

「本当かい、それ」

「さあ、でもぼくの母は信じているようでした」

「きみも、そうやってるの?」

レイナは静かに訊ねた。

「……そうですね、たぶん、そうしていると思います。レイナさまにおいしい紅茶を飲んでいただきたいなと考えながら支度していますから」


レイナはしばらく遠くを見つめて黙りこんでいた。

自分のことを考えてくれる人がこんなにも近くにいてくれる。自分を心配し、支えてくれる。そういう人がいるということはとても幸運ではないだろうか。今更ながら強くそう思い、涙がでそうになるのを懸命にこらえていた。


「ねえ、ユウリ。この戦いが終わって、ラスファイドが平穏になったら、わたしに紅茶の淹れ方を教えてくれないかな。わたしも、金の輪が見える紅茶を淹れてみたい」

「ぼくでよければいつでもご指南いたします」

「うん、たのんだよ。そのためにはまず、この森を無事に抜け出さないとね」

「はい」


ユウリの瞳には、再び青の色が宿り始めていた。

レイナはそれを見てユウリを止める。

「ユウリ、アミニノードは使わなくていいよ。かなり消耗するだろう」

「ですが」

「実はね、さっきから少し気になっている方向があるんだ」

レイナは左手のほうを指し示す。

「あっちの方角に、何かあるような気がするんだ。すごく漠然としたかんじなんだけど」

ユウリは不思議そうな表情をしてレイナが示したほうを見た。

自分は何も感じないが、と言いたげだ。


しかし、レイナには奇妙な確信が湧いてきていた。

アニミノードの使えないこの森では、むしろ自分のようなアニミノードに長けていない人間の感覚を働かせてみるのがよいかもしれないと。

「ユウリ、ここはわたしを信じてみないかい?年の功ってやつでさ」

「一つしか違わないでしょう」

「一つでも私が年長であることは確かだろう」

「それはそうですが」

レイナは不敵にも笑顔をみせていた。


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秋にめざめる (5)

その後向かった作戦室で、局長から直々に森の探索任務が命じられた。

森の抜け道の調査と、一旦退いたはずの帝国軍の動向を調査せよとの内容だった。

隊長と四人の隊員という編成で森へ入り、国境の山へと抜ける道を進んだ。

森を抜け、しばらく山中で帝国軍の動向を調査した。

まだそれほど軍勢が迫っていないことを確認し、また森を通ってラスファイドの首都へと帰還し、得た情報を報告することになっていた。

その途中、どこかでレイナとユウリは不覚にも道を外れてしまい、ほかの三人を見失ってしまった。

どこで見失ったのか、目の前を歩いていたはずの三人をなぜ見失ったのかどうもはっきりと思い出せない。

これが人を惑わすという森の力なのか、とレイナは考えた。

抜け道を示す目印を探してかなり歩き回ったが、収穫はなかった。


レイナは傍らのユウリを見た。

さきほどまで瞳を真っ青にしていたが、今は落ち着いた色に戻っている。

「どうだい、やはりアニミノードもこの森では使えないのか」

「……時折気配がつかめることもあるのですが、長続きしません。方向を特定するまでには至らない状態です」

「そうか」

「申し訳ありません」

「きみがあやまるようなことじゃないよ。予想はしていたじゃないか。アニミノードが有効なら、こんなに遭難者が多いはずはない。この森にはアニミノードを遮断する何かがあるんだ」


アニミノード---万物の気配を感じ取り、それを増幅したり減弱したりすることで多彩な能力を発揮する超常の力。

アニミノードをある程度使えれば方向探知は容易である。

レイナはアニミノードに関してはからきしである。が、ユウリはかなり優秀な能力者であるから、通常であれば方向を見失い遭難することなどあり得ない。

「小刻みに探知を続けていけばいずれは抜け出せるかもしれません」

「そんなことをしたらきみの身が持たないんじゃないか。相当な集中力を必要とするだろう」

「大丈夫です」

そうは言うものの、ユウリは明らかに顔色がすぐれない。

平素から血色は良いほうではないが、今はかなり青ざめて見える。

「とにかく、もう少し休もう。向こうに少し地面が抉れてる場所がある。あそこなら風が避けられるから、移動して体を休めよう」

レイナは立ち上がってユウリを促す。

しかしユウリは同意しかねるという表情をした。

「そのような悠長なことをおっしゃって……」

そんなユウリを横目に、レイナは肩をすくめた。

「この状況では、もはや焦っても仕方ない気がするよ。幸い四、五日なら凌げるだけの食料は持っているじゃないか。ちゃんと休んで、それからまた方策を考えよう」

「しかし」

「ユウリ、きみの顔、鏡で見せてやりたいよ。そんな青白い顔で……無理をして倒れても、私はきみを背負って森を抜ける自信はないからな」

そう言って、レイナは躊躇するユウリに少し笑ってみせた。

ユウリはそんなレイナをまじまじと見た。

「なんだい、じろじろ見て」

「いえ……レイナさまがぼくが考えていた以上に肝の据わったかただと思いまして。度胸は人一倍とは知っておりましたけれど」

「肝が据わっているのかはよくわからないけど、わたしはきみが一緒にいてくれるから、別に怖くはないなと思うよ。きみと一緒なら、何とかなる気がするから」

レイナがそう言うのを聞いたユウリは、気恥ずかしそうに視線を外した。

ほんの少しだけ、頬が赤くなっているようにレイナには見えた。本当にほんの少し。


レイナは、ユウリがそんな表情を見せてくれたことをうれしく思った。だがこちらも表面にはださなかった。


レイナは地面が窪み、風よけの壁ができている場所へと先にたって歩き始めた。


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秋にめざめる (4)

レイナの予想通り、ユウリは事務室にいた。

今朝ほどは机の上に大量の書類や書籍が積み上げられていたが、今はほとんど姿を消し、すっきりと片付けられている。ユウリが整理したのだろう。こういった仕事の速さはレイナも驚くばかりである。アレイス家で奉公していた時分にも似たような仕事を任されることが多かった。

ユウリの有能さはレイナが一番よくわかっているつもりである。官吏になれば相当な能力を発揮するのではないかとひそかに思っていた。自分の侍従をさせておくのはもったいない人物であることは百も承知だが、それでもずっと仕えてもらいたいと願ってしまうのは、自分がさびしがり屋だからであろうか、とレイナはふと思う。だが口にはしない。

「すごいな、ずいぶんすっきりしたじゃない」

声をかけると、こちらに背を向けて壁際の書棚に本を収納していたユウリがゆっくりとふりかえった。

「このところの忙しさで皆さん手が回らないようでしたので、差し出がましいかとは思いましたが勝手に整理させていただきました」

「みんな誰かがやってくれればいいなと心ひそかに思ってたはずだよ。すごく助かると思う」

「それならよいのですが」

ユウリは少しだけ目を細めると、またレイナに背を向けて本の収納を始めた。

あと五冊。

ユウリが作業を終えるのを、レイナは静かに待った。

束の間、ユウリの後姿を見つめる。最初に会ったときから変わらない、清楚な印象の後姿。もちろん背丈は思い出のなかよりもずっと大きい。

最初に会ったときはとても小柄で、レイナよりも小さかったが、今は頭半分くらい追い越されている。

来年成人となる男子としては、ごく平均的な身長だろう。隊服がよく似合っている。

「実は、局長がお呼びなんだ」

作業を終えたユウリの背中に話しかける。

ユウリは不思議そうな顔をしてふりかえった。

「僕も、ですか?」

「うん。きみと私と。三階の作戦室に来てくれとのことだ」

「いつ伺えば?」

「ええっと、さっき十五分後にと言われたから、あと五分後には作戦室に着いていないといけないな」

「急ぎの用事なら早くおっしゃってくださればよろしいのに」

「ごめんごめん」

レイナは軽い調子で言った。

ユウリはその様子を奇妙に思ったらしく、本棚のほうをさし示して、

「気を遣わせてしまったようですね」

と申し訳なさそうな顔をした。

「作業が終わるまで待ってくださったんですね」

「別にそういうわけじゃないよ」

とぼけるレイナをユウリはかすかに笑顔をつくってながめた。

「参りましょう」

「そうだね。局長にしかられないように」


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秋にめざめる (3)

初秋の空に、鳥が舞う。

鳥は幾度か旋回し、自分の目指すべき場所を確かめると、やがて急降下した。所定の帰還口から迷いなく入ってきた鳥に、レイナはえさをやった。

脚にくくりつけられていた小枝のような筒を外し、中に入っていた紙片を広げる。手にしていた霧吹きで、紙の表面に特殊な試薬を吹き付けると文字が浮かぶ。

首都におかれた軍部情報局の一室で、レイナはため息をついた。国境付近で任務を行っている同僚から送られてきた情報は、芳しくなかった。


「どうだった」

レイナが鳥を所定の巣箱に戻して部屋をでたところで、不意に声がかかった。身なりの良い男が立っている。

「芳しくないようです」

それだけを言うと、レイナは手にしていた紙片を差し出した。

「そうか……。レイナ、ユウリはどこだ?」

「事務室にいると思います」

「では、ユウリを呼んで二人で来るように。十五分後」

男はレイナが差し出した紙片を受け取って歩き出した。

「局長」

男がふり返る。

「何だ」

「あの、どちらへ伺えばよろしいのでしょうか」

「ああ、すまない。三階の作戦室に」

「了解しました」

レイナは足早に遠ざかる上司の後姿を見送った。


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秋にめざめる (2)

夏の盛り、志願書が受理され、レイナは付いてくると言ってくれたユウリと共にラスファイドの王国軍に入隊した。


ほどなくして二人が配属になったのは情報管理局という部署であった。

そこは集まってくる情報の管理、そして的確な情報の配信を一手に担っている部署。もちろん情報収集も主要な業務のひとつである。

二人はその中の一小隊に配置となり任務を行うことになった。


同僚たちの間でラスファイドの劣勢がささやかれ始めたのは、レイナたちが情報管理局での任務にやっと慣れてきた頃、夏の名残があった頃である。


帝国軍の一団が山越えに成功し国境を越えたとの情報が入った。

そのときは山中に駐屯していた師団によって事なきを得、帝国軍は一旦は退いていった。が、またいつ攻めてきてもおかしくはない。

五十年前の戦役のときよりも、帝国軍の山中行軍速度は飛躍的に増していた。次はもっと大きな編隊を組んでくる可能性もある。

まともにぶつかりあえば、ラスファイドに勝機はない。軍の規模も火力も、歴然とした差がある。

辺境の小国であるラスファイドが帝国軍と渡り合うためには、地の利を最大限に生かすほかに手立てはないだろう。いとも簡単に大軍に山を越えられてしまうようなことがあれば、打つ手は限りなく少ない。


首都の気配は、まだ安穏としたものであった。

国境からはかなりの地理的隔たりがある。帝国軍の動きは、まだ一般市民には知らされていない。


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秋にめざめる (1)

ひやりと頬をなでる風。揺れる紅葉した樹木。

ラスファイドはもうすっかり秋の気配を漂わせている。


レイナは鬱蒼と茂る木々を見上げてため息をついた。

薄暗い森の中を、一体どのくらい歩いただろうか。

もはや時間の感覚も、空間の感覚も狂いつつある。

自分が今どこにいるのかが、よくわからない。

周りを見ても同じ木々がずっと続いているだけのように思えてくる。

「少し休もう」

傍らのユウリを促し、レイナは近くの倒木に腰掛けた。

「まいったな……」


人を惑わす魔性の森。

今レイナとユウリがいる森を、ラスファイドの人々はそう呼んでいる。

この森では磁石が役にたたない。

高々と生い茂る樹木は日の光を遮り、時間の把握も容易ではないため、通常は人の寄り付くところではない。

森はラスファイドと隣国アルカダイア帝国を隔てる山すそにあり、この森をぬけたところから山に入ると、帝国へと向かう秘密の通路がある。そこを通れば天をも貫くと称される国境の山々のなかでも比較的楽に進めるところにたどりつく。諜報活動を行う際に使われるものだ。


ラスファイドに生きる人々は、長い時間と、決して少なくはない犠牲を払ってこの森を抜ける小道を三本開拓した。門外不出のその通行路は、一見それとはわからない目印によって行き先を示し、獣道でさえないような下草の繁るところをかきわけて進むような代物である。

その道を外れれば、無事に森を抜けられる保証はない。

レイナとユウリは、その保証のない状況に置かれている。

かなり長い時間歩き回ったはずだが、出口は一向に見えてこない。

この森の魔性にとりつかれてしまったようである。


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麦倉ハト

Author:麦倉ハト
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オリジナルの読みもの公開ブログ。
ファンタジーが好き、ちょっとせつない読後感を目指す管理人がマイペースに書いております。

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