■ 回帰 (1)
まだ客のいない店内には、店主がカップをみがくキュキュっという音だけが響いていた。
開け放った窓から、明るい光が射しこんでくる。
五日ぶりの晴天に、店主の顔がほころぶ。今日は、いいことがありそうだと思えてきた。
【コメット】という名のその店は、町外れの小さな丘の上にぽつんとある。店主手製のドーナツと、自家焙煎のコーヒーを売りにしている。
店主はまだ若いが腕は良い、との評判で、一度来た客は、たいていまた訪れる。
ドーナツが気にいるもの、コーヒーを好むもの、店の雰囲気を楽しむもの。
理由はさまざまだが、一度しか来ない客はめったになく、たいていは、ありがたいことにまた訪ねてきてくれる。その様子が、回帰する彗星のように思えた。
彗星の回帰周期が様々であるように、当然客の回帰周期もいろいろだ。足繁く訪れるものがいるかと思えば、開店当時に一度だけ来た旅人が、また再びこの地を訪れた記念にと寄っていくこともある。
たくさんの人々の、それぞれの回帰を、この店で待っていることが店主の楽しみであった。
------
コーヒーの抽出器具を点検しているところへ、ふいに扉を開ける音が聞こえた。
足音が近づいてくる。
扉には【準備中】の札を掛けていたはずだ。開店時間にはまだ早い。
「よう、元気にしてたか」
小さな廊下を通って店内に姿を見せたのは、ときおりぶらりと訪れる、気心のしれた友人だった。飾り気のないあいさつに、店主の顔がほころぶ。
「見てのとおり、元気だよ。きみこそ元気にしてたのかい。ずいぶんごぶさただったじゃないか」
「ちょっと遠くの勤務地に行っていたんでな」
そう言って笑う。ひさしぶりに見るその顔は、以前よりもひげが濃くなっている。大きな体をカウンターの椅子におさめた。
「そうだったの。何か飲むかい」
「まだ準備中だろう」
「大丈夫、もうほとんど終わってたんだ」
「そんなら、コーヒーをたのむよ」
「濃いめで、あつあつ?」
「そう、いつもどおりに」
「了解」
小気味よく答えると、今さっき点検を終えたばかりの器具で、さっそく本日一杯目のコーヒーを淹れる準備にとりかかった。
(つづきへ→)
開け放った窓から、明るい光が射しこんでくる。
五日ぶりの晴天に、店主の顔がほころぶ。今日は、いいことがありそうだと思えてきた。
【コメット】という名のその店は、町外れの小さな丘の上にぽつんとある。店主手製のドーナツと、自家焙煎のコーヒーを売りにしている。
店主はまだ若いが腕は良い、との評判で、一度来た客は、たいていまた訪れる。
ドーナツが気にいるもの、コーヒーを好むもの、店の雰囲気を楽しむもの。
理由はさまざまだが、一度しか来ない客はめったになく、たいていは、ありがたいことにまた訪ねてきてくれる。その様子が、回帰する彗星のように思えた。
彗星の回帰周期が様々であるように、当然客の回帰周期もいろいろだ。足繁く訪れるものがいるかと思えば、開店当時に一度だけ来た旅人が、また再びこの地を訪れた記念にと寄っていくこともある。
たくさんの人々の、それぞれの回帰を、この店で待っていることが店主の楽しみであった。
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コーヒーの抽出器具を点検しているところへ、ふいに扉を開ける音が聞こえた。
足音が近づいてくる。
扉には【準備中】の札を掛けていたはずだ。開店時間にはまだ早い。
「よう、元気にしてたか」
小さな廊下を通って店内に姿を見せたのは、ときおりぶらりと訪れる、気心のしれた友人だった。飾り気のないあいさつに、店主の顔がほころぶ。
「見てのとおり、元気だよ。きみこそ元気にしてたのかい。ずいぶんごぶさただったじゃないか」
「ちょっと遠くの勤務地に行っていたんでな」
そう言って笑う。ひさしぶりに見るその顔は、以前よりもひげが濃くなっている。大きな体をカウンターの椅子におさめた。
「そうだったの。何か飲むかい」
「まだ準備中だろう」
「大丈夫、もうほとんど終わってたんだ」
「そんなら、コーヒーをたのむよ」
「濃いめで、あつあつ?」
「そう、いつもどおりに」
「了解」
小気味よく答えると、今さっき点検を終えたばかりの器具で、さっそく本日一杯目のコーヒーを淹れる準備にとりかかった。
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■ 回帰 (2)
「ああ、この味だ。ひさしぶりだな」
店主が淹れたコーヒーを、男はうまそうに飲んだ。その様子を見て、店主もうれしくなる。
今日はいいことがありそうだと思ってはいたが、予想以上だ。
「ドーナツも食べる?」
「いやいや、開店前にそこまでしてもらっちゃ悪い」
「平気だよ、もう仕込みはおわってるから」
目の前の友人は、いつも開店前か閉店後に姿をみせる。仕事の邪魔をしないようにとの彼なりの配慮らしい。
大柄で鷹揚そうな外見とは裏腹な繊細な心遣いを随所に見せる彼が、情報収集のスペシャリストとして名をはせているのもうなずける。
「どれが人気だい?」
メニュウ表を見ながら訪ねてくる。
「そうだな、よくでるのはこのチョコがかかったやつかな。でもぼくがきみにおすすめするのはこっち」
店主はメニュウ表を指さしながら説明していく。
「これは、何がかかってるんだい」
「少しだけ砂糖をまぶすけど、ほぼプレーンな生地だよ。きみ、甘いの苦手でしょう。これならそんなに甘くないし、コーヒーにも合う」
「じゃ、そのおすすめのやつをたのむ」
友人の言葉に、店主はにっこりと笑ってうなずいてみせた。
------
「こっちにはどのくらいいられるの」
揚げたてのドーナツをほおばっている友人に、店主はそっと訊ねた。
「休暇を三日もらえたが、そのあとはまた遠隔地での任務だとさ。今度は南方だ。まったく、人使いがあらいんだ」
苦笑する友人に、店主はコーヒーのおかわりをすすめた。友人は「いや、もう十分」と答えて席を立った。
「そろそろ開店時間だろう。失礼するよ」
「もっといてくれていいのに」
ひきとめる店主に友人は「ありがとな、また来るよ」とだけ言った。テーブルに小銭を置き、戸口へ向かおうとしたが、「あ、そういえば」と何かを思い出したようすで戻ってくる。
「大事なことを言い忘れていた」
「なんだい」
「この間会ったぜ、お前さんが話してくれたアルバトロスってパイロットに。確かにいい腕してたよ」
きょとんとする店主を見てふっと髭の口元で笑った男は、「じゃあな」と手を振って店を出ていった。
(つづきへ→)
店主が淹れたコーヒーを、男はうまそうに飲んだ。その様子を見て、店主もうれしくなる。
今日はいいことがありそうだと思ってはいたが、予想以上だ。
「ドーナツも食べる?」
「いやいや、開店前にそこまでしてもらっちゃ悪い」
「平気だよ、もう仕込みはおわってるから」
目の前の友人は、いつも開店前か閉店後に姿をみせる。仕事の邪魔をしないようにとの彼なりの配慮らしい。
大柄で鷹揚そうな外見とは裏腹な繊細な心遣いを随所に見せる彼が、情報収集のスペシャリストとして名をはせているのもうなずける。
「どれが人気だい?」
メニュウ表を見ながら訪ねてくる。
「そうだな、よくでるのはこのチョコがかかったやつかな。でもぼくがきみにおすすめするのはこっち」
店主はメニュウ表を指さしながら説明していく。
「これは、何がかかってるんだい」
「少しだけ砂糖をまぶすけど、ほぼプレーンな生地だよ。きみ、甘いの苦手でしょう。これならそんなに甘くないし、コーヒーにも合う」
「じゃ、そのおすすめのやつをたのむ」
友人の言葉に、店主はにっこりと笑ってうなずいてみせた。
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「こっちにはどのくらいいられるの」
揚げたてのドーナツをほおばっている友人に、店主はそっと訊ねた。
「休暇を三日もらえたが、そのあとはまた遠隔地での任務だとさ。今度は南方だ。まったく、人使いがあらいんだ」
苦笑する友人に、店主はコーヒーのおかわりをすすめた。友人は「いや、もう十分」と答えて席を立った。
「そろそろ開店時間だろう。失礼するよ」
「もっといてくれていいのに」
ひきとめる店主に友人は「ありがとな、また来るよ」とだけ言った。テーブルに小銭を置き、戸口へ向かおうとしたが、「あ、そういえば」と何かを思い出したようすで戻ってくる。
「大事なことを言い忘れていた」
「なんだい」
「この間会ったぜ、お前さんが話してくれたアルバトロスってパイロットに。確かにいい腕してたよ」
きょとんとする店主を見てふっと髭の口元で笑った男は、「じゃあな」と手を振って店を出ていった。
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■ 回帰 (3)
あくる日、ひとしきり賑わった昼食時がすぎ、客がひけた店内で、店主は新しいドーナツの試作品を作っていた。
今度ひげの友人が訪ねてきたときに食べてもらおうと思っている、甘さをおさえ、木の実を加えてみたものだ。
香ばしいかおりが広がる店内に、扉が開く音が聞こえてきた。扉につけた鈴が、リリン、リリンと来客を伝えている。
やがて静かに店内に姿を見せた。
「やあ、きみか。ひさしぶりだね。元気だったかい」
店主がカウンターの席をすすめると、その見知った客は素直に席につく。かなり年若いその客は、以前の印象よりも少しだけ大きくなったように見えた。
「今日、君がくるような予感がしたんだ。なぜだかわからないけれど、店の準備をしていてふとそんな気がした。本当にきてくれるなんて、ぼくは超能力者かもしれないね」
店主の言葉に、若い客は少し笑う。そのはにかんだ笑い方は以前と変わらない。
「きみが来たら飲むだろうと思って、用意しておいたんだよ」
店主はそう言って、客の前にコップを置く。
「レモン水でいいんだよね」
店主が確認すると、客はさっきよりも笑顔を強くする。
「はい、お願いします」
レモン水と、白い砂糖衣のかかったドーナツ。
少年は以前と変わらぬ注文をした。
食べている間に、二組の客がきた。少年は無言でもの思いにふけっている様子だった。
やがて、他の客が少年よりも先に店をでていった。
ふたたび少年と店主だけになった店内を確認するように見渡してから、少年は口をひらいた。
(つづきへ→)
今度ひげの友人が訪ねてきたときに食べてもらおうと思っている、甘さをおさえ、木の実を加えてみたものだ。
香ばしいかおりが広がる店内に、扉が開く音が聞こえてきた。扉につけた鈴が、リリン、リリンと来客を伝えている。
やがて静かに店内に姿を見せた。
「やあ、きみか。ひさしぶりだね。元気だったかい」
店主がカウンターの席をすすめると、その見知った客は素直に席につく。かなり年若いその客は、以前の印象よりも少しだけ大きくなったように見えた。
「今日、君がくるような予感がしたんだ。なぜだかわからないけれど、店の準備をしていてふとそんな気がした。本当にきてくれるなんて、ぼくは超能力者かもしれないね」
店主の言葉に、若い客は少し笑う。そのはにかんだ笑い方は以前と変わらない。
「きみが来たら飲むだろうと思って、用意しておいたんだよ」
店主はそう言って、客の前にコップを置く。
「レモン水でいいんだよね」
店主が確認すると、客はさっきよりも笑顔を強くする。
「はい、お願いします」
レモン水と、白い砂糖衣のかかったドーナツ。
少年は以前と変わらぬ注文をした。
食べている間に、二組の客がきた。少年は無言でもの思いにふけっている様子だった。
やがて、他の客が少年よりも先に店をでていった。
ふたたび少年と店主だけになった店内を確認するように見渡してから、少年は口をひらいた。
(つづきへ→)
■ 回帰 (4)
「今日は、お伺いしたいことがあってきました」
真剣な表情をうかべた少年の顔を、店主はしばらくながめていた。
その瞳の奥に宿っている、以前にはなかった力強さに、いつか来るような気がしていた時が、ついに来たのだと思った。これまであえてしてこなかった、過去について語る時が来たのだと。
カウンターをでて、扉にかけていた札を【本日終了】に付け替えた。まだ閉店時間には早いが、ゆっくり話すにはこのほうがいいだろう。
「きっとそうだろうと思ったよ。さっき店に入ってきたときから、きみは何か聞きたそうな顔をしてた」
そう言うと、少年はかすかに苦笑するような表情をうかべた。
「気づいていらしたんですね」
「まあ、ね」
「お答えいただけるでしょうか」
その問いに、店主はゆっくりと天井を仰ぎ見て、少し考える仕草をした。そして、
「質問の内容にもよるよ。でも、できるかぎり答えると誓おう」
と言った。
目の前の少年の表情は穏やかだった。以前見た、迷いを抱えた表情とは違っている。今ももちろん迷いはあるのかもしれないが、それを受け入れることができたのだろうと思えた。
「ずいぶん成長したね、アルバトロス。アル、とまた呼んでもいいのかな」
店主の言葉に、少年は笑った。
「はい、もちろんです」
アルバトロス少年はうれしそうに言った。
------
遠ざかってゆくアルバトロスの後ろ姿を、店主は店の前に立ち見送った。
途中、一度だけ振り返ったアルバトロスが深々と頭を下げたのが見えた。店主はそれに、大きく手を振って応えた。
あの後、アルバトロスから訊ねられたのは、ただ一言、
「なぜ、飛ぶのをやめたのですか?」
という問いだけだった。
それに対し、店主は、
「飛ぶのが嫌になったからさ」
とだけ言った。
アルバトロスはその答えを聞くと、一瞬目を見開いて、それから「そうですか」と呟いて微笑をうかべると、
「ぼくは、飛ぶことが好きです。今でも、まだ」
と、大きくはないが、はっきりとした声で言った。
「飛んでいたいです、ずっと」
アルバトロスの言葉に、店主は頷いて見せた。
「それなら飛び続ければいいさ。自分が納得いくまで」
そこで言葉を切ってから、店主は、「これは、あくまでも個人的な見解だけど」と断ってから言葉を継いだ。
「戦闘機に乗ることに、国を守る使命感を持つ人もいるだろうし、単純に自分の力を試したいだけの人もいる。そして、戦うことに喜びをかんじる人もいれば、誰かと争っていることに悩む人もいる。いろいろな考えの人がいる。人はそれぞれに自分の信念を持っている。みんな違う。何が正しいのかなんて、一概に言えることじゃない。ただひとつ言えることは、自分自身が正しいと思うことだけは、自分で決めることができるということだ」
店主はアルバトロスの瞳をじっと見つめた。
「自分の信じる道を進めばいい。飛ぶことが好きなら、飛び続ければいいのさ。ぼくは、飛ぶこと自体が嫌になったからすっぱりやめたけれどね。きみは、きみのしたいようにすればいいさ。それに、戦闘機に乗ることだけが、飛ぶことじゃないよ」
店主の言葉に、アルバトロスはこくんと頷き、「はい」と答えた。
------
数日がたった夕暮れ時に、アルバトロスから手紙が届いた。
そこには、先日の礼の言葉とともに、軍に除隊願いを提出したこと、そして、旅客機パイロットになるための訓練を受けることにしたことなどがアルバトロスらしいすっきりとした字で書かれていた。
入り日が、店の中を照らしている。
店主は窓辺から黄金色に染まった空を見た。その美しい空のなかを悠々と飛ぶであろうアルバトロスの姿が、ありありと思い浮かんできた。
空と海の間を、飛行機がひとつ飛んでゆく。
まるで鳥のように、なんの苦もなく浮かぶ機体は徐々に遠ざかり、やがて黄金色をした水平線の彼方にすいこまれてゆく。
そうやって、いつまでも飛びつづけてゆく。
いつまでも、いつまでも。
果てることなく。
アルバトロスは、飛んでゆく。
《完》
真剣な表情をうかべた少年の顔を、店主はしばらくながめていた。
その瞳の奥に宿っている、以前にはなかった力強さに、いつか来るような気がしていた時が、ついに来たのだと思った。これまであえてしてこなかった、過去について語る時が来たのだと。
カウンターをでて、扉にかけていた札を【本日終了】に付け替えた。まだ閉店時間には早いが、ゆっくり話すにはこのほうがいいだろう。
「きっとそうだろうと思ったよ。さっき店に入ってきたときから、きみは何か聞きたそうな顔をしてた」
そう言うと、少年はかすかに苦笑するような表情をうかべた。
「気づいていらしたんですね」
「まあ、ね」
「お答えいただけるでしょうか」
その問いに、店主はゆっくりと天井を仰ぎ見て、少し考える仕草をした。そして、
「質問の内容にもよるよ。でも、できるかぎり答えると誓おう」
と言った。
目の前の少年の表情は穏やかだった。以前見た、迷いを抱えた表情とは違っている。今ももちろん迷いはあるのかもしれないが、それを受け入れることができたのだろうと思えた。
「ずいぶん成長したね、アルバトロス。アル、とまた呼んでもいいのかな」
店主の言葉に、少年は笑った。
「はい、もちろんです」
アルバトロス少年はうれしそうに言った。
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遠ざかってゆくアルバトロスの後ろ姿を、店主は店の前に立ち見送った。
途中、一度だけ振り返ったアルバトロスが深々と頭を下げたのが見えた。店主はそれに、大きく手を振って応えた。
あの後、アルバトロスから訊ねられたのは、ただ一言、
「なぜ、飛ぶのをやめたのですか?」
という問いだけだった。
それに対し、店主は、
「飛ぶのが嫌になったからさ」
とだけ言った。
アルバトロスはその答えを聞くと、一瞬目を見開いて、それから「そうですか」と呟いて微笑をうかべると、
「ぼくは、飛ぶことが好きです。今でも、まだ」
と、大きくはないが、はっきりとした声で言った。
「飛んでいたいです、ずっと」
アルバトロスの言葉に、店主は頷いて見せた。
「それなら飛び続ければいいさ。自分が納得いくまで」
そこで言葉を切ってから、店主は、「これは、あくまでも個人的な見解だけど」と断ってから言葉を継いだ。
「戦闘機に乗ることに、国を守る使命感を持つ人もいるだろうし、単純に自分の力を試したいだけの人もいる。そして、戦うことに喜びをかんじる人もいれば、誰かと争っていることに悩む人もいる。いろいろな考えの人がいる。人はそれぞれに自分の信念を持っている。みんな違う。何が正しいのかなんて、一概に言えることじゃない。ただひとつ言えることは、自分自身が正しいと思うことだけは、自分で決めることができるということだ」
店主はアルバトロスの瞳をじっと見つめた。
「自分の信じる道を進めばいい。飛ぶことが好きなら、飛び続ければいいのさ。ぼくは、飛ぶこと自体が嫌になったからすっぱりやめたけれどね。きみは、きみのしたいようにすればいいさ。それに、戦闘機に乗ることだけが、飛ぶことじゃないよ」
店主の言葉に、アルバトロスはこくんと頷き、「はい」と答えた。
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数日がたった夕暮れ時に、アルバトロスから手紙が届いた。
そこには、先日の礼の言葉とともに、軍に除隊願いを提出したこと、そして、旅客機パイロットになるための訓練を受けることにしたことなどがアルバトロスらしいすっきりとした字で書かれていた。
入り日が、店の中を照らしている。
店主は窓辺から黄金色に染まった空を見た。その美しい空のなかを悠々と飛ぶであろうアルバトロスの姿が、ありありと思い浮かんできた。
空と海の間を、飛行機がひとつ飛んでゆく。
まるで鳥のように、なんの苦もなく浮かぶ機体は徐々に遠ざかり、やがて黄金色をした水平線の彼方にすいこまれてゆく。
そうやって、いつまでも飛びつづけてゆく。
いつまでも、いつまでも。
果てることなく。
アルバトロスは、飛んでゆく。
《完》